KAZU1000’s blog 阪本研究所 SK laboratory

阪本研究所 SK laboratory 代表 Kazuyoshi Sakamoto 旅行・社寺巡り・古墳調査・じゃらん旅行記

【丹比柴籬神社】(たじひのしばがきじんじゃ)大阪府松原市(2/2)

【丹比柴籬神社】(たじひのしばがきじんじゃ)は松原市上田にある柴籬神社にはあったと伝えられています。【柴籬神社】周辺には「極殿山」「大門」「若宮」「反正山」など、都に関連する地名が近くにいくつも残っているようです。丹比柴籬宮の主は18代天皇である反正天皇と言われています。仁徳天皇が亡き後、長男の去来穂別が履中天皇として即位。しかし次男の住吉仲皇子がそれに不満を持ち、履中天皇を襲撃。その後、三男の瑞歯別が履中天皇を助け住吉仲皇子を殺害。履中天皇が亡くなると瑞歯別が跡を継ぎ、反正天皇として即位します。

 

柴籬神社はの創建について詳しい事は分かっていませんが、社伝によれば5世紀後半に仁賢天皇の勅令により創建されたと言われています。

 

 

 

 

 

所在地:大阪府松原市上田7丁目12番22号

 

アクセス:近鉄南大阪線河内松原駅下車後、南へ徒歩約10分

 

 

【丹比柴籬神社】(たじひのしばがきじんじゃ)大阪府松原市(1/2)

【丹比柴籬神社】(たじひのしばがきじんじゃ)は松原市上田にある柴籬神社にはあったと伝えられています。【柴籬神社】周辺には「極殿山」「大門」「若宮」「反正山」など、都に関連する地名が近くにいくつも残っているようです。丹比柴籬宮の主は18代天皇である反正天皇と言われています。仁徳天皇が亡き後、長男の去来穂別が履中天皇として即位。しかし次男の住吉仲皇子がそれに不満を持ち、履中天皇を襲撃。その後、三男の瑞歯別が履中天皇を助け住吉仲皇子を殺害。履中天皇が亡くなると瑞歯別が跡を継ぎ、反正天皇として即位します。

 

柴籬神社はの創建について詳しい事は分かっていませんが、社伝によれば5世紀後半に仁賢天皇の勅令により創建されたと言われています。

 

 

 

所在地:大阪府松原市上田7丁目12番22号

 

アクセス:近鉄南大阪線河内松原駅下車後、南へ徒歩約10分

 

【黒龍大神】(こくりゅうおおかみ) 大阪市西成区山王

大阪市西成区山王の急な坂のところに【黒龍大神】( こくりゅうおおかみ)が鎮座しています。

 

黒龍大神の由来について掲示があり、次のように書かれています。

 

 東に天王寺台地が広がり、南に聖天山があり、高地に囲まれたこのあたりの低地に明治末期頃まで大池があり大蛇が住みつき付近の住民より池の主としてあがめられていたという。そこで地元民が池の回りに大蛇を守護神として黒龍、白龍、天龍の大神として三つの祠を建て住民の信仰も厚かった。その信仰のお陰で山王町は戦災にあうこともなく大きな災いがないという。黒龍さん々々と親しまれ参詣者絶えず。

 

 黒龍大神の東北約10米上がったところに「かみやまとはし」と刻まれた高さ約1米の標示石があるが池から流れる小川に架橋されたもので相当大きな池であったことが裏付けされる。 
 黒龍大神の中に阿倍野水の石碑があり、池の近くの住民の生活水として利用されていたものと思われる。 
 地元では黒龍講をつくり毎月18日を月例祭として10月18日を大祭日として護摩を炊き供養を盛大に行っている。                   黒龍大神保存会

 

神奈備の注 「かみやまとはし」の石碑は境内隣接地に移転されている。「黒龍大神の中に」阿倍野水の石碑云々とは、境内にあるとの意味である。 
 黒龍大神の場所はあまり移動していないようだが、天龍大神、白龍大神はそれぞれ山王丁目、3丁目と遷座しているようだ。

 

 

 

住所:大阪府大阪市西成区山王1丁目3−25

 

地下鉄御堂筋線堺筋線「動物園前駅」から約500m。
JR大阪環状線関西本線阪和線・地下鉄御堂筋線谷町線天王寺駅」から約600m。
阪堺電軌上町線天王寺駅前駅」・近鉄南大阪線大阪阿部野橋駅」から約600m。
阪堺電軌阪堺線新今宮駅前駅」・JR大阪環状線関西本線新今宮駅」から約600m。

 

 

 

 

 


 


【八尾神社】(やおじんじゃ)大阪府八尾市

【八尾神社】(やおじんじゃ)大阪府八尾市

 

 

延喜式神名帳河内国若江郡の「栗栖(くるす)神社」に比定され(式内社)、社格は旧村社。旧若江郡西郷、木戸両村(現八尾市本町5丁目の北側、本町6,7丁目、東本町3丁目あたり)の氏神。近世には「牛頭天王社」と称していたが、明治維新後に『延喜式』に従って「栗栖神社」に改称し、1908年4月15日に更に現社名に改称しました。
祭神は、宇麻志麻治命(うましまぢのみこと)、品陀和気命
近世には「牛頭天王社」の社名が示すように牛頭天王を祭神としていましたが、享保20年(1735年)の『河内志』以来式内「栗栖神社」に比定され、「栗栖」は現鎮座地一帯を本貫とした古代氏族、栗栖連氏に因むものと考えられ、その祭神も『新撰姓氏録』に「栗栖連。同じき神(神饒速日命)の子、于摩志摩治命(うましまぢのみこと)の後也」(河内国神別栗栖連条)とある栗栖連の祖神、于摩志摩治命(宇麻志麻治命)とされたために、明治維新後に宇麻志麻治命に改めました。また、品陀和気命は明治5年に合祀された旧木戸村の氏神である八幡社の祭神。
鳥居をくぐって、すぐ左側に「玉姫大神」「玉光大神」があります。蛇が神様のためタマゴが供えてありました。本殿の東側に「菅原神社」があり、その横に1931年に建碑された八尾城址の石碑があります。また、「菅原神社」の左側に「白龍大神」があります。

 

 

 

 

 

 

所在地:大阪府八尾市本町7丁目7-27

 

アクセス:近鉄大阪線八尾駅から西へ約5分

 

 

 

 

 

 

 

 

【浅香山稲荷神社】(あさかやまいないじんじゃ)大阪府堺市

浅香山稲荷神社】(あさかやまいないじんじゃ)大阪府堺市

 

JR浅香駅を降り、東側直ぐに浅香山城址といわれる「浅香山稲荷神社」があります。参道入り口の急な坂道を登り詰めたところがこの神社。

 

鳥居の横の案内板には、次のように書かれています。
昔、この辺りに住之江の浦と連なる小さな湾で、そこに小島が出来、遠く推古天皇の御代(五九○年代)聖徳太子御巡遊の折、白髪の老翁が太子に、昔より此処に埋る香木有り、と伝えて去る。太子が不思議に思い、掘らせたところ、果たせるかな地中より幾千年も経たと思われる朽木が出て、これを焼かせたところ馥郁優なる香りたなびき、その時太子が「浅からぬ香り」と仰せられて、以後この地を”浅香の浦”と呼び、その香木で老翁の像を刻みここにまつられたのがこの神社の創始と言われています。後、ここに城を築いて、この神像を稲荷大神と仰ぎ祭られてきた。この稲荷大神とは宇迦之御魂大神と言い。生活の大本を司り福徳盛運の守護神として伊勢外宮にます豊受大神と異名同神と言われます。時移り世が代わって宝永年間(一七○四年)、旧大和川の水害から流域を守るために大久保大隈守宰領として流を変える工事の折、この地の狐塚の所に至り、どうしても工事が進まず、前日掘った所が翌日は又元に復し、人夫達は恐怖におののき手出しも出来ず、宰領奉行も神威を畏み、計画を変えこの狐塚を避けることによって大工事を完成させるに至りました。後、宰領大隈守は神威を怖れこの狐塚の所に神殿を建立し、現在に至っております。尚、現神殿は、昭和五十一年七月に改築完成されたものです。神前の一対の石灯籠は大久保大隈守の寄進にかかり、又自然石の大手洗鉢は当時の川口奉行等の寄進によるものです。以上(浅香稲荷神社由来案内板より)

 

 

 

住所:大阪府堺市北区浅香山町2丁目9

 

 

 

 

 

【杵築神社】(きづきじんじゃ) 奈良県生駒郡平群町

【杵築神社】(きづきじんじゃ) 奈良県生駒郡平群町

 

 

奈良県の生駒と信貴山の中間にある十三峠越えの道の途中に【杵築神社】(きづきじんじゃ)があります。福貴畑の氏神。祭神は素戔鳴命。末社と祭神は、春日神社 (天児屋根命)、伊勢皇大神宮天照大神)、金毘羅大権現。宝永(1704~1711)の寺社御改帳に「牛頭天王社」とあり、社殿・拝殿・観音堂が所在しました。

 

境内の案内板には、次のように書かれています。
「当社創建は、寿永弐年辰四月卯の日(1178年)と記録に有り、現神社は昭和三十五年大和川改修により当地に移転、御本殿は春日式にて、文化年間に春日大社若宮旧本殿を拝領の物である。境内に推古式古代人造の石塔が現存、きわめて古風で平安時代の造立説がある。」

 

拝殿の隣にはがあります。この観音堂は西庄にあった薬師院の別院で、「木造聖観音座像」と「深沙大将立像」(じんじゃたいしょうりゅうぞう)が祀られています。
深沙大将立像」は室町時代後期の高さ約2mの大きな仏像で、県の文化財に指定されています。
また、立派なカヤの木が石段の両脇にあります。左側のカヤの木は幹周5mを超す巨樹です。

 

所在地:奈良県生駒郡平群町福貴畑1396番地
アクセス :近鉄平群駅より徒歩50分。
自動車の場青:西名阪道・香芝ICから国道168号を4.5km、三室交差点を左折し県道236号を3.1kmで右折、信貴フラワーロードを4.3km、福貴畑で左折し200m。(「杵築神社」の標識あり)この神社の前に車を停める広いスペースがあります。

 

 

 


【杵築神社】 (きづきじんじゃ) 奈良県生駒郡

 

 

 

【素戔嗚神社】(すさのおじんじゃ)奈良県生駒郡平群町

素戔嗚神社】(すさのおじんじゃ)奈良県生駒郡平群町

 

伊文字川の支流のほとり、稲作の水を守る農耕神です。祭神は素戔鳴命。拝殿左に長生院(元薬師堂)があり、不動明王等を祀ります。慶長7年(1602)在銘の鰐口がある。又、元文3年(1738)銘の湯釜には「牛頭天王宮」の銘があり、江戸期には牛頭天王社と呼んでいた産土の神です。棟札には「宝暦3年(1753)大雨で山崩れして坊社が大破した故、一宇再建し奉る。」とあります。長生院住特某とあるから常住の神宮寺があったことがわかります。毎年12月20日頃に、拝殿で勧請縄がなわれ、石鳥居の前にかけられ松ノ内の大トンドで焼かれるそうです。

 

 

住所 :奈良県生駒郡平群町久安寺小字イノサカ1133

 

アクセス :近鉄竜田川駅より徒歩1時間40分