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阪本研究所 SK laboratory 代表 Kazuyoshi Sakamoto 旅行・社寺巡り・古墳調査・じゃらん旅行記

【高安古墳群・郡川支群の散策】大阪府八尾市 「じゃらん旅行記」


高安古墳群・郡川支群の散策

2016年7月8日(金)~2016年7月8日(金)
  • 一人
  • 1人
  • 芸術・文化
  • 史跡・歴史
  • ハイキング・登山
  • アクティビティ
高安古墳群(たかやすこふんぐん)は、大阪府八尾市の東部、高安山の麓に分布する古墳群。「高安千塚古墳群」の名称で国の史跡に指定されている。八尾市の高安地区中部(千塚、山畑、大窪、服部川、郡川あたり)には約200基の古墳群が現存しており、その多さからこのあたりを「千塚」と呼ぶようになった。 古墳時代後期の6世紀から7世紀にかけて造られ、大正時代の調査で、かつては600基ほどあったとみられている。 その多くが、横穴式石室を持った直径10~20メートルほどの小さな円墳で、高安山の中腹、標高50~300メートルあたりに多く分布している。 大抵の場合、南側に開口している。 このあたりでは4, 5世紀の古墳時代前・中期にかけては巨大な権力を持ったごく少数の人物が巨大な前方後円墳を造った。しかし古墳時代後期には権力が分散し、財力のある小豪族がこのあたりに勢力を伸ばし、小規模な円墳を造るようになり、多くの墳墓が集中するようになったと考えられている。具体的な被葬者については詳細不明である。 明治時代初期に モースが開山塚古墳などを調査・スケッチをして、その成果を「日本におけるドルメン」として紹介している。 また、W・ゴーランドが二室塚古墳の写真撮影を試み、1897年(明治30年)に論文で「双室ドルメン」として発表していることが後の研究で判っている。 なお、坪井正五郎1888年(明治21年)に「古墳・塚穴、ドルメン同源説」という論文を発表している。 今回は高安古墳群の中でも「郡川支群」を散策してみた。 アクセス:近鉄信貴山口駅から徒歩10分。
1日目2016年7月8日(金)
近鉄信貴山口駅の前にある看板には古墳のことは書かれてません。
この踏切を渡って高安山の方面へ歩いて行きます。
この辺りはイノブタが出没するので注意です。
また踏切を渡ります。この線は高安山まで行くケーブルカーが通ります。
古墳の一部と思われます。
 
この辺りはこのような古墳が沢山見ることが出来ます。
 
この辺りはこのような古墳が沢山見ることが出来ます。
 
この辺りはこのような古墳が沢山見ることが出来ます。
 
この辺りはこのような古墳が沢山見ることが出来ます。
 
比較的おおきな古墳なので中に入ってみました。
 
この辺りはこのような古墳が沢山見ることが出来ます。
 
この辺りはこのような古墳が沢山見ることが出来ます。
 
この辺りはこのような古墳が沢山見ることが出来ます。 携帯ライトがあれば便利です。
 
このような山道なので登山用のシューズをお勧めします。
 
ケーブルカーに注意です。
 
踏切を渡って信貴山口駅に帰ります。
 
近鉄信貴山口駅の前にある唯一の商店です。