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じゃらん旅行記・旅行・社寺巡り・古墳調査など

【西宮神社】(にしのみやじんじゃ)兵庫県西宮市(1/4)

西宮神社】(にしのみやじんじゃ)兵庫県西宮市

 

日本に約3500社ある、えびす神社の総本社(名称:「えびす宮総本社」)。地元では「西宮のえべっさん」と呼ばれる。なお、戎信仰については、えびすを蛭子と同一視する説の他にもいくつかの説が存在する。祭神は、
えびす大神(西宮大神・蛭児命) - 第一殿・主祭神
天照大御神 - 第二殿
大国主大神 - 第二殿
須佐之男大神 - 第三殿

 

祭神の蛭児命は伊弉諾岐命と伊弉諾美命との間に生まれた最初の子である。しかし不具であったため葦の舟に入れて流され、子の数には数えられなかった。ここまでは記紀神話に書かれている内容であり、その後の蛭児命がどうなったかは書かれていない。当社の社伝では、蛭児命は西宮に漂着し、「夷三郎殿」と称されて海を司る神として祀られたという。
創建時期は不明だが、延喜式内社の「大国主西神社」に同定する説がある。現在、境内末社大国主西神社が式内社とされているが、後述のように西宮神社自体を本来の式内大国主西神社とする説もある。だが延喜式神名帳では菟原郡となっており、西宮神社がある武庫郡ではなく、西宮神社にせよ現在の大国主西神社にせよ、式内社とするには一致しない。ただし武庫郡菟原郡の境界は西宮神社の約200m西側を流れる夙川でありこの河道の変遷により古代は菟原郡に所属したとする説もある。

 

式内大国主西神社との関係がいずれとしても、平安時代には廣田神社の境外摂社であり「浜の南宮」または「南宮社」という名であった。廣田神社神祇伯白川伯王家との関係から頻繁に白川家の参詣を受けており、既に篤く信仰されていたことが記録に残っている。

 

平安時代末期、廣田神社の摂社として「夷」の名が初めて文献にあらわれるようになる。そのためこの頃から戎信仰が興ったとの説がある(同時期の梁塵秘抄にも、諏訪大社南宮大社、敢国神社と共に、廣田神社末社が南宮とされている)。この南宮が現在の西宮神社のことであり、廣田神社の境外摂社である「南宮神社」が現在でも西宮神社の境内にあるのはその名残りである。

 

 

所在地: 兵庫県西宮市社家町1番17号