kazuyoshi-sakamoto1000’s blog

じゃらん旅行記・旅行・社寺巡り・古墳調査など

若江鏡神社(わかえのかがみ) 東大阪市若江南町二丁目

由緒  雷の森と云われたのは本殿前に雷の手形石(雷神石)があるそうで、水神としての功徳があったのが謂われだろう。  創建は不詳、祭神についても議論がある。『文徳実録』に「河内国大雷火明之神、従五位下」と記されており、当神社のことと想定されている。  神社建物や宝物は大坂夏の陣の兵火に焼失したが、文政十一年(1828年)に三間社流造檜皮葺亀腹上に再建された。これは一間社流造二棟を中央に相殿を入れて連結した珍しい遺構だそうだ。  神功皇后四年、大旱魃があり、農作物の枯死寸前に際し、神前で大般若経を唱読し祈願した所、神社裏の淵より清水が湧き出て危機を救ったと伝わる。 これより般若経の若と水の源の江をとり、若江郡と称せられたと言う。  この「若江」の謂れは、苦しい所だが、若江造は『新撰姓氏録』右京諸蕃に「後漢霊帝後裔奈率張安力」の後とあり、この氏族が住んだ地域とも推測されているが、当「若江」と言う地名以外には文献上では確認できないそうだ。  祭神を探るのには「鏡」がポイントとなる。大和の鏡作神社は火明命、美濃國の各務郡(かがみ)の村国真墨田神社も火明命であり、 またここの南には物部氏の本拠地の八尾であり、物部氏ゆかりの火明命を祭神とするのが妥当かと思われる。  祭神を火雷火明命とすることが鏡作氏の遠祖の火明命に通じると言う。

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