KAZU1000’s blog 阪本研究所 SK laboratory

阪本研究所 SK laboratory 代表 Kazuyoshi Sakamoto 旅行・社寺巡り・古墳調査・じゃらん旅行記

【丹生川上神社下社】(にうかわかみじんじゃしもしゃ)奈良県吉野郡 (1/3)

丹生川上神社下社】(にうかわかみじんじゃしもしゃ)奈良県吉野郡

 

祭神は、闇龗神 (くらおかみのかみ)。上古の由緒は不詳で、土地の古老の伝えに、丹生社の鳥居が洪水によって流されてきたので、それを拾って神体として祀ったのが創祀であるというが、当神社背後の丹生山山頂に、祭祀遺跡と思しき矩形の石群があること、また、社前を流れる丹生川流域には丹生神社が点在すること、かつては付近に、御酒井・五色井・吹分井・御食井・祈願井・御手洗井・罔象女井・降臨井・鍛人井といった多くの井戸が湧出していたことなどから、古くからの水神信仰があった可能性もある。
江戸時代前期以降、式内社の所在地についての考証が盛んになると、「式内大社 丹生川上神社」については当時「丹生大明神」と称していた当神社に比定する説が有力となった。その後、朝廷や幕府においてもこれを認めるようになり、宝永7年(1710年)に中御門天皇の勅使が差遣されたのを始め、時には祈雨の奉幣がなされ、また嘉永6年(1853年)に黒船が来航すると、翌7年に孝明天皇が当神社に宣旨を下して国家安泰を祈願し、文久2年(1862年)には攘夷を祈願するなど、二十二社の1社として遇された。文久3年(1863年)、天誅組の蜂起が起きると、橋本若狭や中井越前という当神社社家の者がこれに参画したため、討伐軍の兵火により本殿が罹災するとともに、拝殿や社務所などが焼失した。

 

所在地: 奈良県吉野郡下市町長谷1-1

 

 

(撮影:2016/10/26)

 


【丹生川上神社下社】(にうかわかみじんじゃしもしゃ)奈良県吉野郡

 


【山ノ神大明神】(やまのかみだいみょうじん)奈良県吉野郡

【山ノ神大明神】(やまのかみだいみょうじん)奈良県吉野郡

 

洞川温泉へ到着する寸前に「ようこそ洞川温泉へ」の看板が見えます。道沿いに山神の祠があります。由緒等は不明です。

 

 

 

所在地:奈良県吉野郡天川村洞川

 

(撮影:2016/10/26)

 

 

【龍泉寺】(りゅうせんじ)奈良県吉野郡 (6/6)

龍泉寺】(りゅうせんじ)奈良県吉野郡

 

真言宗醍醐派大本山のお寺で、大峯山寺の護持院です。白鳳年間、大峯開山役行者が大峯修行のとき、麓の洞川で岩場の中からコンコンと水が湧出る泉を発見されました。現在でこそ穏やかな池ですが、役行者が発見した頃は底も見えないほど深く青く澄みきった泉だったと云われております。役行者がこの泉の辺に八大龍王尊をお祠りして、水行をしたのが、龍泉寺の始まりであると伝えられています。

 

水の湧き出る洞口は「竜の口」と云われ、龍王尊の住む泉と言う意味を持って、龍泉寺と名付けられました。後に修験道中興の祖である聖宝理源大師によって再興修行され、修験道の根本道場として修験者を迎える霊場となりました。

 

昭和21年の洞川大火により境内の建物のほとんどを消失ましたが、昭和35年に伽藍の復興がなされ滝行場である龍王の滝も整備されました。本堂にはご本尊の弥勒菩薩をはじめ、役行者、聖宝理源大師、弘法大師不動明王が祀られています。

 

ありがたや 親よりうけし旅衣 洗ひきよむる 龍泉の水

 

所在地:奈良県吉野郡天川村洞川494

 

(撮影:2016/10/26)





 

【龍泉寺】(りゅうせんじ)奈良県吉野郡 (5/6)

龍泉寺】(りゅうせんじ)奈良県吉野郡

 

真言宗醍醐派大本山のお寺で、大峯山寺の護持院です。白鳳年間、大峯開山役行者が大峯修行のとき、麓の洞川で岩場の中からコンコンと水が湧出る泉を発見されました。現在でこそ穏やかな池ですが、役行者が発見した頃は底も見えないほど深く青く澄みきった泉だったと云われております。役行者がこの泉の辺に八大龍王尊をお祠りして、水行をしたのが、龍泉寺の始まりであると伝えられています。

 

水の湧き出る洞口は「竜の口」と云われ、龍王尊の住む泉と言う意味を持って、龍泉寺と名付けられました。後に修験道中興の祖である聖宝理源大師によって再興修行され、修験道の根本道場として修験者を迎える霊場となりました。

 

昭和21年の洞川大火により境内の建物のほとんどを消失ましたが、昭和35年に伽藍の復興がなされ滝行場である龍王の滝も整備されました。本堂にはご本尊の弥勒菩薩をはじめ、役行者、聖宝理源大師、弘法大師不動明王が祀られています。

 

ありがたや 親よりうけし旅衣 洗ひきよむる 龍泉の水

 

所在地:奈良県吉野郡天川村洞川494

 

 

(撮影:2016/10/26)




 

【龍泉寺】(りゅうせんじ)奈良県吉野郡 (4/6)

龍泉寺】(りゅうせんじ)奈良県吉野郡

 

真言宗醍醐派大本山のお寺で、大峯山寺の護持院です。白鳳年間、大峯開山役行者が大峯修行のとき、麓の洞川で岩場の中からコンコンと水が湧出る泉を発見されました。現在でこそ穏やかな池ですが、役行者が発見した頃は底も見えないほど深く青く澄みきった泉だったと云われております。役行者がこの泉の辺に八大龍王尊をお祠りして、水行をしたのが、龍泉寺の始まりであると伝えられています。

 

水の湧き出る洞口は「竜の口」と云われ、龍王尊の住む泉と言う意味を持って、龍泉寺と名付けられました。後に修験道中興の祖である聖宝理源大師によって再興修行され、修験道の根本道場として修験者を迎える霊場となりました。

 

昭和21年の洞川大火により境内の建物のほとんどを消失ましたが、昭和35年に伽藍の復興がなされ滝行場である龍王の滝も整備されました。本堂にはご本尊の弥勒菩薩をはじめ、役行者、聖宝理源大師、弘法大師不動明王が祀られています。

 

ありがたや 親よりうけし旅衣 洗ひきよむる 龍泉の水

 

所在地:奈良県吉野郡天川村洞川494

 

 

(撮影:2016/10/26)



 


 

 

 

【龍泉寺】(りゅうせんじ)奈良県吉野郡 (3/6)

龍泉寺】(りゅうせんじ)奈良県吉野郡

 

真言宗醍醐派大本山のお寺で、大峯山寺の護持院です。白鳳年間、大峯開山役行者が大峯修行のとき、麓の洞川で岩場の中からコンコンと水が湧出る泉を発見されました。現在でこそ穏やかな池ですが、役行者が発見した頃は底も見えないほど深く青く澄みきった泉だったと云われております。役行者がこの泉の辺に八大龍王尊をお祠りして、水行をしたのが、龍泉寺の始まりであると伝えられています。

 

水の湧き出る洞口は「竜の口」と云われ、龍王尊の住む泉と言う意味を持って、龍泉寺と名付けられました。後に修験道中興の祖である聖宝理源大師によって再興修行され、修験道の根本道場として修験者を迎える霊場となりました。

 

昭和21年の洞川大火により境内の建物のほとんどを消失ましたが、昭和35年に伽藍の復興がなされ滝行場である龍王の滝も整備されました。本堂にはご本尊の弥勒菩薩をはじめ、役行者、聖宝理源大師、弘法大師不動明王が祀られています。

 

ありがたや 親よりうけし旅衣 洗ひきよむる 龍泉の水

 

所在地:奈良県吉野郡天川村洞川494

 

(撮影:2016/10/26)





 

 

【龍泉寺】(りゅうせんじ)奈良県吉野郡 (2/6)

龍泉寺】(りゅうせんじ)奈良県吉野郡

 

真言宗醍醐派大本山のお寺で、大峯山寺の護持院です。白鳳年間、大峯開山役行者が大峯修行のとき、麓の洞川で岩場の中からコンコンと水が湧出る泉を発見されました。現在でこそ穏やかな池ですが、役行者が発見した頃は底も見えないほど深く青く澄みきった泉だったと云われております。役行者がこの泉の辺に八大龍王尊をお祠りして、水行をしたのが、龍泉寺の始まりであると伝えられています。

 

水の湧き出る洞口は「竜の口」と云われ、龍王尊の住む泉と言う意味を持って、龍泉寺と名付けられました。後に修験道中興の祖である聖宝理源大師によって再興修行され、修験道の根本道場として修験者を迎える霊場となりました。

 

昭和21年の洞川大火により境内の建物のほとんどを消失ましたが、昭和35年に伽藍の復興がなされ滝行場である龍王の滝も整備されました。本堂にはご本尊の弥勒菩薩をはじめ、役行者、聖宝理源大師、弘法大師不動明王が祀られています。

 

ありがたや 親よりうけし旅衣 洗ひきよむる 龍泉の水

 

所在地:奈良県吉野郡天川村洞川494

 

(撮影:2016/10/26)