【石神社】(いわじんじゃ)大阪府柏原市 (2/2)
延喜式神名帳に記されている式内社で、旧社格は郷社。 神社は、柏原市太平寺地区の生駒山地南端に近い小高い丘陵の山腹に位置する。 麓の境内に社務所が、高い石段を登った ところに社殿がある。 祭神の石姫皇女は、宣化天皇の皇女、欽明天皇の皇后である 。他に石長姫命、熊野権現。 境内にある大きなクスノキは、周囲約6メートル・高さ約16メートル以上の大木で、樹齢700~800年と推定されており、大阪府指定天然記念物となっている。 かつて、この辺りに「智識寺」と呼ばれる古代寺院があった。 聖武天皇、孝謙天皇が難波宮と平城宮を往来する際にここを訪れ、礼拝例仏されたという。 智識寺には大きい廬舎那仏があり、これを見た聖武天皇が東大寺大仏造営を発願されたといわれている。 その後寺は室町時代ごろに廃れたとされる。
アクセス :近鉄大阪線「安堂駅」下車、東へ約800メートル
【石神社】(いわじんじゃ)大阪府柏原市 (1/2)
延喜式神名帳に記されている式内社で、旧社格は郷社。 神社は、柏原市太平寺地区の生駒山地南端に近い小高い丘陵の山腹に位置する。 麓の境内に社務所が、高い石段を登った ところに社殿がある。 祭神の石姫皇女は、宣化天皇の皇女、欽明天皇の皇后である 。他に石長姫命、熊野権現。 境内にある大きなクスノキは、周囲約6メートル・高さ約16メートル以上の大木で、樹齢700~800年と推定されており、大阪府指定天然記念物となっている。 かつて、この辺りに「智識寺」と呼ばれる古代寺院があった。 聖武天皇、孝謙天皇が難波宮と平城宮を往来する際にここを訪れ、礼拝例仏されたという。 智識寺には大きい廬舎那仏があり、これを見た聖武天皇が東大寺大仏造営を発願されたといわれている。 その後寺は室町時代ごろに廃れたとされる。
アクセス :近鉄大阪線「安堂駅」下車、東へ約800メートル
【恩智神社】(おんぢじんじゃ)大阪府八尾市 (2/2)
【恩智神社】(おんぢじんじゃ)大阪府八尾市
式内社(名神大社)で、河内国二宮であると伝える。旧社格は府社。雄略天皇の時代(470年頃)、藤原氏により祖神の天児屋根命を香取神宮から勧請して創建された。天児屋根命はその後、枚岡神社を経て春日大社に祀られるようになったことから、当社は「元春日」と呼ばれる。創建当初、社地は天王森 (近鉄恩智駅と国道170号(旧道=東高野街道)の中間ほどの場所) にあった。旧社地は「天王杜」と呼ばれて当社の頓宮があり、現在もムクの大木が生い茂っている。
所在地:大阪府八尾市恩智中町5丁目10
アクセス:近鉄「恩智」駅から徒歩約18分(近鉄「恩智」駅出口前の商店街突当り、高安山に向かって、天王の森を過ぎ坂道を数分上がった所から参道(階段)が始まる)
【恩智神社 夏祭り】「宮入り」平成30年8月1日 Onji Shrine Summer Festival (August 1st, 2018) in Yao city of Osaka, Japan
【恩智神社】(おんぢじんじゃ)大阪府八尾市 (1/2)
【恩智神社】(おんぢじんじゃ)大阪府八尾市
式内社(名神大社)で、河内国二宮であると伝える。旧社格は府社。雄略天皇の時代(470年頃)、藤原氏により祖神の天児屋根命を香取神宮から勧請して創建された。天児屋根命はその後、枚岡神社を経て春日大社に祀られるようになったことから、当社は「元春日」と呼ばれる。創建当初、社地は天王森 (近鉄恩智駅と国道170号(旧道=東高野街道)の中間ほどの場所) にあった。旧社地は「天王杜」と呼ばれて当社の頓宮があり、現在もムクの大木が生い茂っている。
所在地:大阪府八尾市恩智中町5丁目10
アクセス:近鉄「恩智」駅から徒歩約18分(近鉄「恩智」駅出口前の商店街突当り、高安山に向かって、天王の森を過ぎ坂道を数分上がった所から参道(階段)が始まる)
【恩智神社 夏祭り「宮出し」平成30年8月1日 Onji Shrine Summer Festival (August 1st, 2018) in Yao city of Osaka, Japan
【大聖勝軍寺】(だいせいしょうぐんじ)大阪府八尾市 (3/3)
【大聖勝軍寺】(だいせいしょうぐんじ)大阪府八尾市
大阪府八尾市の旧奈良街道に面して建つ高野山真言宗の仏教寺院。山号は神妙椋樹山。 開基は聖徳太子、本尊は植髪太子(聖徳太子)。 聖徳太子建立三太子の一つで、叡福寺の「上の太子」、 野中寺の「中の太子」に対して、「下の太子」と呼ばれ、地元では単に「太子堂」と呼ばれています。聖徳太子(しょうとくたいし)が物部守屋(もののべのもりや)を滅ぼすにあたって、信貴山の毘沙門天(びしゃもんてん)に祈願し四天王(してんのう)をまつり、その加護により戦に勝ったので、この寺を建てたと伝わっています また、大聖勝軍寺の境内には神妙椋と馬蹄石、物部守屋の首を洗ったとされる守屋池が残され、四天王像などの重要な仏像などを所蔵する
【大聖勝軍寺】(だいせいしょうぐんじ)より国道25号線を100m程東に進んだところに【物部守屋の墓】があります。
アクセス:関西線JR八尾駅から南西方向へ歩いて5~6分。
国道25号線に面した市街地の中にります。
👇【物部守屋の墓】
【大聖勝軍寺】(だいせいしょうぐんじ)大阪府八尾市(2/2)
【大聖勝軍寺】(だいせいしょうぐんじ)大阪府八尾市
大阪府八尾市の旧奈良街道に面して建つ高野山真言宗の仏教寺院。山号は神妙椋樹山。 開基は聖徳太子、本尊は植髪太子(聖徳太子)。 聖徳太子建立三太子の一つで、叡福寺の「上の太子」、 野中寺の「中の太子」に対して、「下の太子」と呼ばれ、地元では単に「太子堂」と呼ばれています。聖徳太子(しょうとくたいし)が物部守屋(もののべのもりや)を滅ぼすにあたって、信貴山の毘沙門天(びしゃもんてん)に祈願し四天王(してんのう)をまつり、その加護により戦に勝ったので、この寺を建てたと伝わっています また、大聖勝軍寺の境内には神妙椋と馬蹄石、物部守屋の首を洗ったとされる守屋池が残され、四天王像などの重要な仏像などを所蔵する
【大聖勝軍寺】(だいせいしょうぐんじ)より国道25号線を100m程東に進んだところに【物部守屋の墓】があります。
アクセス:関西線JR八尾駅から南西方向へ歩いて5~6分。
国道25号線に面した市街地の中にります。