KAZU1000’s blog 阪本研究所 SK laboratory

阪本研究所 SK laboratory 代表 Kazuyoshi Sakamoto 旅行・社寺巡り・古墳調査・じゃらん旅行記

道の片すみの忘れかけられた「不思議な薬師如来」奈良市白毫寺町

道の片すみの忘れかけられた「不思議な薬師如来奈良市白毫寺町

 

「不思議な薬師如来」は、右手には、奈良市白毫寺町にある「高円山 白毫寺」(びゃくごうじ)の駐車場の隅にあります。案内板には次のように書かれています。

 

 

【人々に安らぎと勇気の施無畏仰(せむいいん)を、左手には、病苦の苦しみを除く誓願を示す薬壺(やっこ)を、お持ちのすがたです。 願う人々、身のやまい、病気、心のまよい等、良く叶えて下さいます。」

 

また、「高円山 白毫寺」(びゃくごうじ)は、奈良市白毫寺町にある真言律宗の寺院。本尊は阿弥陀如来。開基(創立者)は勤操と伝えられています。奈良市街地の東南部、春日山の南に連なる高円山山麓にあり、境内から奈良盆地が一望できる景勝地に建つ寺。関西花の寺二十五霊場第18番(萩)。

 

住所: 奈良県奈良市白毫寺町392

 

 

 

 

 

 

【宅春日神社】(やけかすがじんじゃ)奈良市白毫寺町

【宅春日神社】(やけかすがじんじゃ)は、奈良県奈良市白毫寺町にある神社。高円山西北の麓、能登川の南に鎮座する。祭神は「天児屋根命」「比売神」。
天児屋根命」は神護景雲2年(768年)、河内国枚岡から大和国添上郡高窓山麓に移座し、同年の11月9日に現在の春日大社の地に留まられたが、高円山の社地が当社地にあたる。創祀以来春日大社禰宜家が奉仕して今日にいたる。山の辺の道沿いの当地方はかつて大宅郷と称して、古代豪族の大宅氏が北大和を領していた際の要衝であった豊かな地域であったと伝わっている。

 

延宝9年(1681年)林宗甫の書いた『和州旧跡幽考』では、「焼春日」の名で、「平岡明神御影向ましまして、後は本宮の嵩にうつり給ひき。遷宮の後、雷火に社焼しより、俗に焼春日といへり[3]。当代二座のやしろは、一社は春日明神、一社は法明房忍覚をいはひしとなり。」とある。

 

境内に大山祇命を祀る「山の神社」がある。あたらしく石玉垣をめぐらせ、モチの神木を中央におく祓戸社が整備されている。

 

 

所在地 :奈良県奈良市白毫寺町116

 

 

【天神社】(てんじんしゃ)奈良市高畑町 (2/2)

【天神社】(てんじんしゃ)奈良市高畑町

 

「奈良町天神社」とも呼ばれる。北天満の天神社。祭神は、「少彦名命」(すくなひこなのみこと)「菅原道真公」。略縁起では、承保5年(1078年)の草創とされている。後に、元興寺禅定院鎮護の社、興福寺大乗院の鎮守社となった。祭神はもともと少彦名命であるが、この神は手間天神(てまのあまつかみ)という別名を持つことより、一般にてまてんじんと呼ばれた。後に奈良のゆかりの菅原道真公を相殿に祀るようになった。社伝によると、道真が祀られたのは平安時代白河天皇の御世であったという。

 

 

【天神社】(てんじんしゃ)の由緒書きがあり下記のように書かれてあります。

 

 

「当神社の境内地を含むこの丘陵一帯は、平城京がわが国の首都であった8世紀、平城の飛鳥とよばれた聖地でありました。
ここにまず祀られたのが国つ神の中心の1柱である少彦名命で、手間天神とよばれ医薬や学問の神としてあがめられました。
平安時代になって、奈良の菅原の地を出自とする菅原道真の名声が高まり、道真の霊を祀る天満宮が各地に奉祭されるのにともなって、ここの神域にも相殿が建てられて御霊信仰の主神であり、学問勉学の神でもある菅原道真公の霊(天満天神)が併せ祀られることになりました。
社伝によると平安時代白河天皇の時であるということです。
その後、元興寺禅定院あるいは興福寺大乗院の鎮守となり、近世には奈良奉行や近郷の信仰を集めて現在に至りました。」

 

 

 

 

所在地: 奈良県奈良市高畑町1049

 

【天神社】(てんじんしゃ)奈良市高畑町 (1/2)

【天神社】(てんじんしゃ)奈良市高畑町

 

「奈良町天神社」とも呼ばれる。北天満の天神社。祭神は、「少彦名命」(すくなひこなのみこと)「菅原道真公」。略縁起では、承保5年(1078年)の草創とされている。後に、元興寺禅定院鎮護の社、興福寺大乗院の鎮守社となった。祭神はもともと少彦名命であるが、この神は手間天神(てまのあまつかみ)という別名を持つことより、一般にてまてんじんと呼ばれた。後に奈良のゆかりの菅原道真公を相殿に祀るようになった。社伝によると、道真が祀られたのは平安時代白河天皇の御世であったという。

 

【天神社】(てんじんしゃ)の由緒書きがあり下記のように書かれてあります。

 

「当神社の境内地を含むこの丘陵一帯は、平城京がわが国の首都であった8世紀、平城の飛鳥とよばれた聖地でありました。
ここにまず祀られたのが国つ神の中心の1柱である少彦名命で、手間天神とよばれ医薬や学問の神としてあがめられました。
平安時代になって、奈良の菅原の地を出自とする菅原道真の名声が高まり、道真の霊を祀る天満宮が各地に奉祭されるのにともなって、ここの神域にも相殿が建てられて御霊信仰の主神であり、学問勉学の神でもある菅原道真公の霊(天満天神)が併せ祀られることになりました。
社伝によると平安時代白河天皇の時であるということです。
その後、元興寺禅定院あるいは興福寺大乗院の鎮守となり、近世には奈良奉行や近郷の信仰を集めて現在に至りました。」

 

 

所在地: 奈良県奈良市高畑町1049

 

【洞水門】(どうすいもん)奈良市高畑町

【洞水門】(どうすいもん)は、奈良公園の南端部、「浮見堂」で有名な「鷺池」のほとりにある小さな「音の鳴る仕掛け」です。

 

別名としては「水琴窟」とも呼ばれるその仕掛けは地中に「伏瓶(ふせがめ)」を埋めて空洞を作ることで、落ちる水がその中で反響して琴のような音色が周辺に響くというものです。【洞水門】(どうすいもん)は、浮見堂の南側すぐ、また観光シーズンは「貸しボート」が営業されている場所の目の前にあります。

 

 

住所:奈良県奈良市高畑町1194

 

JR・近鉄奈良駅から奈良交通バス「市内循環外回り」・「中循環外回り(近鉄奈良駅からのみ)」・「山村町」・「藤原台」・「鹿野園町」・「奈良佐保短期大学」行き乗車、「春日大社表参道」下車、南西に徒歩4分

 

【浮見堂】(うきみどう)奈良市高畑町

【浮見堂】(うきみどう)奈良市高畑町

 

奈良公園・鷺池に浮かぶ檜皮葺き(ひわだぶき)、八角堂形式(六角形)のお堂です。  水面に写る姿が美しく、水辺の憩いの場となっています。現在の浮見堂は、旧浮見堂が老朽化したために、平成3年から平成6年にかけての3年間の修復工事によって、その美しさを今によみがえらせました。 春日大社より浅茅が原の林をぬけていくとつきあたります。

 

 

住所:奈良県奈良市高畑町1194

 

JR・近鉄奈良駅から奈良交通バス「市内循環外回り」・「中循環外回り(近鉄奈良駅からのみ)」・「山村町」・「藤原台」・「鹿野園町」・「奈良佐保短期大学」行き乗車、「春日大社表参道」下車、南西に徒歩4分

 

【港住吉神社】(みなとすみよしじんじゃ)大阪市港区

【港住吉神社】( みなとすみよしじんじゃ)大阪市港区

 

当社は1842年(天保13年)に、大坂城代幕命を奉じ、摂津一宮である住吉大社より4座の御分霊を目印山(旧天保山)に勧請した。以来、本社と本末の関係を以て祭祀を継続し、大阪三郷の関係住民及び海運業者の日夕の崇拝するところの守護神となった。 
 1864年(元治元年)天保山に台場が築かれたので、天保町に奉遷した。1906年明治39年官幣大社住吉大社の境外末社となり、翌年西区靭中通二丁目永代濱住吉神社を合祀し、1917年(大正6年天保町より築港遊園地だった現在地に奉遷した。以後、築港一円の氏神として奉斎することになり、現在に至っている。

 

 

所在地:大阪市港区築港1丁目
アクセス:地下鉄中央線東大阪線「大阪港」下車、東へ約200m、
大きな通りを南へ約500m